2009年06月29日

都市共通の機能

都市にはライフライン、食料の供給と水、電力、通信などの手段が、都市における住民の生活を維持し、その他の都市とのつながりを確保する手段として必要とされる。都市には、電力供給の手段と上下水道の設備、道路、鉄道駅や港、空港などのインフラストラクチャーも、その人口に応じて必要とされる。また、汚水やゴミの処理などの静脈物流も必須である。更に、大量消費の時代に入ってからは、ゴミ・廃棄物の問題が顕在化して大都市においても深刻な問題となっている。

19世紀以降、都市の限られた空間を効率よく使うために、高層ビルや地下(近年では大深度地下)が利用されるようになった[1]。

都市の発展により、都市の周辺の農村部においても、農地の宅地化や工場・商業施設などの進出など、都市としての性格を持つようになる。この現象を都市化という。この内、無計画な都市化をスプロール現象という。

政治・行政機能
(市役所・市議会・消防署)
市役所、都道府県庁、国家機関といった行政機関や裁判所が含まれ、警察署や消防署などが立地する警察や消防の範囲は、エリア(複数の都市)に跨がる物もある。水道局、下水道局、ゴミ処理施設などライフラインを支える物。1990年代以降、郊外に大規模な庁舎を建設して移転する事例が見られる。
商業機能
(百貨店・商店街・ホテル・ファストフード店・レストラン)
都心にあった百貨店や商店街は、郊外のロードサイドショップや大型ショッピングセンターに押され気味であり、消費者の動向は郊外に移動している。都心の映画館も、徐々に姿を消しつつある。

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交通・通信機能
(鉄道・バス・地下鉄・空港・港)
都心への車の乗入れを制えるニューアーバニズムなどの動きが、 ヨーロッパの都市において始まってシャトルバスや路面電車がその無公害性を再評価され始めた。
教育・文化・娯楽機能
(学校・大学・図書館・博物館・公園・スポーツ施設・ホール・ライブハウス)
都市の継続的な発展のために、その後進を育て育成していく教育機関が都市には必要とされる。早くから郊外への移転が進んでいるが、その反省から近年では都心回帰も進んでいる。

2009年06月11日

内観療法とは、本来修養法として開発された

内観療法とは、本来修養法として開発された吉本伊信の内観法を医療、臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)のこと。

1960年代から精神医療現場に導入されるようになった。1978年には日本内観学会が発足している。 また、国際的な評価も得られており、2003年には国際内観療法学会も設立され現在に至っている。  吉本のやり方をほぼそのまま行う内観原法と吉本のやり方に変化を加える内観変法がある。また医師などの依頼で民間の研修所で行う場合と、医師が中心となって病棟内で行う場合がる。

病院で行われる場合と、民間の研修所で行われる場合があり、以下は標準的な研修所で行われている方法である。 母、父、きょうだいなど、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わりを、
日本の物語
私たちの憲法
ハムスター
大気のお話
住宅用語
野菜事典
知って得証券語
南北朝時代
栃木の湯めぐり
蘭の世界紀行
空手道
歯周炎
植物園
銀行
商社
フェンシング
アパレル
映画祭
肝炎
お化け屋敷

してもらったこと
して返したこと
迷惑をかけたこと
の3つのテーマにそって繰り返し思い出す。

これにより自分や他者への理解・信頼が深まり、自己の存在価値・責任を自覚する事によって社会生活の改善につながると考えられる。

また場合によって「嘘と盗み」、「養育費の計算」などのテーマが与えられることがある。特にアルコール依存症患者には「酒代の計算」というテーマが与えられる。自分が一生の間に酒によって失った金額をすべて計算するというものである。あまりの金額に愕然となり、酒を断つものも多い。

また内観療法は大きく分けて、内観研修所や病院で一週間篭って行う「集中内観」と、日常生活の中で1人で行う「日常内観」の2つのステージに分かれる。

集中内観では外界からの刺激が遮断された道場の中に、屏風で狭く仕切った空間を作り、その中で朝6時から夜9時まで続けて上のテーマについて一週間、(6泊7日または7泊8日)内観していく。途中1?2時間ごとに訪れる面接者に対して、それまでに思い出した事を話す。それに対して面接者は共感的態度で耳を傾け、かつ必要最小限の返答で応える。その過程ではしばしば劇的な価値観の転換を伴うことがある。

病院での集中内観では(断食)絶食療法と併用されたり、森田療法と併用されることもある。また、アメリカのデイビッド・レイノルズ(en:David K. Reynolds)は内観療法と森田療法の要素をとりれた新しい心理・教育プログラムとして「建設的生き方」(en:Constructive Living)を提唱、実践している。


内観療法の適用 [編集]
不登校や非行など学校での問題、親子・夫婦間などの家族間の問題に効果が見られる[要出典]。またアルコール依存・薬物依存や摂食障害、心身症、抑うつ、神経症など比較的広範な精神疾患に対する効果も報告されている[要出典]。

しかし内観療法は本人の意欲に加え、しっかりした自我状態が必要なため、統合失調症や境界性人格障害などの適応については意見が分かれている。また、重度の鬱病の場合も自殺願望を高める可能性があるため、寛解期に行うなど慎重にしなければならない。

本人への適用が困難な場合、本人の家族に内観してもらうことにより、病状の好転が見られるという報告もなされている(家族内観)[1]。ノンフィクション作家の柳田邦男は家族内観療法を体験し、大きな価値観の転換を得たという

2009年06月07日

共同危険型暴走族は、その集団固有の旗や

共同危険型暴走族は、その集団固有の旗やユニフォームを持っている場合があり、そこに当て字でわざと旧字体のような難しい字や意味のよくない漢字を用いた(例:「夜露死苦(よろしく)」「愛羅武勇(アイ・ラブ・ユー)」)。服装は、かつては特攻服や甚平などが多かったが、そういった文化が廃れた地域では通常の私服が多くなってきている。ヘルメットは基本的に着用しないか、被らずに首に引っ掛けるだけや、あご紐をきちんとかけていない姿が多く見られる。また、この場合のヘルメットは半キャップ、半帽、半ヘルと呼ばれるヘルメットである。

対して違法競走型暴走族たちの多くは、共同危険型暴走族のイメージと同一視されることを嫌がっている。「走り屋」の自称に拘りたがるのはその典型だが、根本的に自分たちが悪いことをしているという認識が希薄な点が共同危険型暴走族との大きな違いである。彼らは、あくまでも自らの活動は各個人の運転欲求に伴う「趣味」だと捉えているため、一般から迷惑行為と判断し非難されている現実を、自分たちは必要以上に社会から冷遇されているのだと認識している傾向にある。さらには、土屋圭市など公道暴走活動からプロのレーサーになった人物もいることから、違法競走型暴走族を「モータースポーツの登竜門」として肯定的に捉える言説さえも流布されている。一方で、アマチュア・モータースポーツとして正規のサーキットで合法的に走行を楽しんでいながらも、自分の欲求を制御できず公道暴走にも同時に手を染める者がいるなど、モータースポーツとは名ばかりの事例も現実に存在する。日本に於けるモータースポーツに対してのイメージが未だに悪い要因は、これらのネガティブイメージに起因しており、モータースポーツ振興の妨げとなっていると見る向きも多い。
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違法競走型暴走族の車を待ち伏せして襲う「走り屋狩り」等を行う共同危険型暴走族も存在する。騒音や危険運転など両者の行為一般は似ている面が多く、いわゆる威圧、嫌がらせ目的であったり単に憂さ晴らしである場合が多いとされるが、それに加えて高級スポーツカーや大金を投じた改造車など、経済的に裕福そうな違法競走型暴走族目当ての恐喝、強盗行為も少なからず存在している。

2009年04月24日

理美容

美容(びよう)とは、容姿を美しくすることをいい、理容(りよう)とは、容姿を整えることをいう。おおまかには女性を対象としたものが美容、男性を対象としたものが理容とされることが多い。また、理容を「理髪」と「美容」の混成語とする向きもある。

美容と理容の意味は似ているが、法律では次の通りに区別されている。

理容:頭髪の刈込、顔そり等の方法により、容姿を整えること (理容師法第1条の2)
美容:パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすること (美容師法第2条)
 最近は男女とも理容店や美容室の区別を特に意識せずに利用したり、シェービングや美顔のために女性が理容店を利用する場合も多く、両者の境界の区別は明確でなくなりつつある。多くの理容店の店舗には、店の入口にサインポールと呼ばれる赤青白の3色で構成された円筒状の看板が螺旋状に回転している。

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なお、大半の個人経営の店は毎週月曜日を定休日としていた。これは昭和30年代にあった全国的な電力不足における休電日が月曜日だった名残で、理容組合への加入の取り決めとして定められていた。

近年はサービスや内装で高級感を強調した店、ヘッドスパや顔そりなどに特化した店舗や10分間程度でカットのみのサービスを提供する店など多様な業態の登場で競争が激しくなり、従来の営業形態のままの理容店・美容室は苦しい経営を強いられている。

床屋
一般的に床屋という呼び名を用いるが、これは江戸時代の理髪店を髪結い床と呼んだことに由来する。

床屋の発祥は山口県下関市と謂われており、髪結職文由緒書によれば、采女之亮政之(うめのすけまさゆき)が新羅人から技術を学び、髪結所を開業したのが始まりとされる。店の中に床の間を設け、亀山天皇と藤原家を奉る祭壇があり、人々は"床の間のある店"から転じて"床屋"という屋号で呼ぶようになったという。采女之亮はその後鎌倉に移り、幕府からも重用されるほどになったと謂われている。江戸時代の床屋について詳しくは髪結いの項を参照のこと。

"床"という言葉が性的な意味合いも持つ為か、「以前は性風俗店も行っていたから」という俗説があるが間違いである。
ただし、アジアの一部では女性によるマッサージ店や性的なサービスを行う風俗店の役割を持っている場合がある。しかし、理美容店がそういった業種も兼務している場合もあるというだけで、床屋という言葉の意味や由来には関係しない。
また、以上の俗説から放送禁止用語とされてしまう場合がある。このことには過激な自主規制や言葉狩りではないかという意見もあり、有川浩の小説『図書館危機』の中でもテーマの一つとして取り上げられている。
散髪屋(いわゆる理髪店)は、文明開化の折に横浜に開業したものが第一号とされる。

2009年04月22日

スラヴ人

スラヴ (Слав, Slav) とは中欧、東欧に居住する民族の大きなカテゴリーで、ポーランド人・チェコ人・セルビア人・クロアチア人・ブルガリア人・ウクライナ人・ベラルーシ人・ロシア人などを含んだ観念であり、言語の共通性が何よりのアイデンティティであり、スラヴ語によって特徴付けられる。

古代にはゲルマン人に次ぐ民族大移動の一部をなしてポリーシャからヨーロッパ全域に拡張した。スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学という。英語で”スレイヴ”(奴隷)という不名誉なレッテルで語られることも多いが、しかし本来のスラヴ語の「スラヴ」の意味は、偉大さや栄光を意味するもの(スラブ語: славаスラーヴァ)であり、スラヴ人は奴隷という先入観も、西欧人の誤解や蔑称から来ているのである。これは、「スラヴ」がギリシア語に入ったときに「奴隷」の意味となり(他の民族もそうであるが、スラヴ人も戦争などで捕らえられると奴隷として扱われたためであろう。この時期、捕虜はどの国でも奴隷であり、戦利品に過ぎなかった)、ギリシアの文化を受け継いだローマ帝国のラテン語から西欧諸言語に広まったと考えられる。現在もスラブ人の名前にアレクサンドル(アレクサンダー)とかロマン(ローマ人の)といったものがあり、東ローマ帝国とキエフ・ルーシ(現在のウクライナ)との戦争における奴隷のなごりではとも考えられる。

トラン パラグ ピロティ 桂うり プラン マーガリン シング サラウンド シャン リネージ バージニ コルホーズ ハンドア ロサク 天体議会 てきか フェンディ ドメーヌ ロココ サファ みつば 最遊記 リーター ささぶね ノリウッド パパイン ライン 江戸手拭 フォビア ズクロー ツイザー 時計台の鐘 オーラン ラグビー ハッチ びわ乃 ティモール ワイン プーリー タッチ トゥク がらいろ ナリア こだわり ばんか チョオ 星の衣 レイヤ ハナキ かくの

政治・文化
スラヴ全体の共通性を強調する態度は汎スラヴ主義と呼ばれ、国民楽派・第一次世界大戦と民族国家・旧東欧の概念などの重要なアイデンティティともなったが、ロシア・ポーランド関係、旧ユーゴスラビアなどのように血を流し合って対立する矛盾した面を持っている。

スラブ人の多くはコーカソイド人種に分類される。さらにかつては東ヨーロッパ人種の存在が信じられた。原住地はカルパチア山脈周辺と推定され、その後ヨーロッパ各地へと移住する過程で、言語としての一体性を持っていたものが、次第に東スラヴ人、西スラヴ人そして南スラヴ人といったゆるやかなまとまりから、さらに各地のスラヴ民族を多数派とする集団へと分化していった歴史を持つ。

移住先では元々の在来の住民と混交する形で言語的にも文化的にも、次第に現地住民を同化しつつ、在来の住民と相互に影響を与え合う形で発展していった。特にトルコの支配を受けた南スラヴ人については、「バルカン型」と呼称され、その国・地域独特の風貌も見られる。また、スロヴェニア人・クロアチア人・ブルガリア人(ブルガール人)は古代の民族形成において指導層が非スラヴ人であったものが、多数派のスラヴ系に同化された民族集団である。現代のギリシャ人についても、文化や言語の一体性を持つギリシャ人として存続しているとはいえ、他の民族と同様トルコ人やスラヴ人との混血を経て形成されてきた。

一方、西ヨーロッパにおいても少数ながらスラヴ民族が現在も住居している。特にドイツ東部においては、古来よりポーランドとの国境付近にはドイツ人とポーランド人との混血集団であるシレジア人をはじめ、エルベ川東部にもスラヴ系集団が住居し、現代に至るまでドイツ人と共存、発展してきた歴史を持つ。現在もドイツ東部にはソルブ人が住居している。

なお、スラヴ人の中で最大の民族集団であるロシアの語源については、いくつか説はあるが、現代のウクライナの首都、キエフを中心としたキエフ・ルーシ(キーフルーシ大公国)の国号からとられたとも言われている。この「ルーシ」をギリシャ語読みすると「ロシア」となる。本来、地理的にキーフルーシがルーシ(ロシア)の名を引き継ぐべきところであるが、歴史的にモンゴル支配以降、急速に台頭してきた新興国家モスクワ公国(キーフルーシの一構成国でのちにロシア帝国となる)に「ロシア」の主導権を握られ、先を越された感がある。なお、キーフルーシはその後ロシア帝国の一構成集団として取り込まれていった後、ウクライナとして現代ロシアとは別の国家として存続している。

そのため、ウクライナ人の中には、これらの歴史的経緯からウクライナ人とロシア人は同じスラヴ民族であり、近隣同士の間柄としてともに歩んできたものの、ロシア人とウクライナ人とは一線を画している、とする論調が存在し、それが両民族の間にさまざまな軋轢をもたらしていることも、また事実である。なお、ウクライナ人自身も長い歴史の中でゴート人、スキタイ人そして東スラヴ人との混血によって形成された民族集団である。

ロシアについては、歴史的に民族の行き交う十字路に位置しており、古来にはスキタイ人やサルマティア人、フン人そしてハザール人をはじめとする遊牧民族、中世にはモンゴル人やタタール人等による支配を経験している。その後、ロシアが領土を中央アジアからシベリア、極東方面へ大きく拡大し周辺の諸民族を征服する過程で、これらの民族と言語的、文化的に混交、同化していった経緯から、ロシア人はコーカソイドを基調としながらも、ウラル山脈以東、東へ向かうにつれてモンゴロイド人種の特徴を含む人々もみられ、人種的に相当なばらつきがあるといわれている。

国旗
スラヴ人が多数派を占める国々の国旗には、赤、青、そして白色からなる配色による構成が見られる。この配色は汎スラヴ色とよばれ、自由と革命の理想を象徴したものである。

汎スラヴ色を国旗の意匠とする国々は、ロシア、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチア、セルビアなどであり、南スラヴ族のモンテネグロ人を主要民族とするモンテネグロも2004年7月まで、汎スラヴ色を基調とする国旗を使用していた。また、同じ南スラヴ族のブルガリア国旗についても、青色の配色が農業を表す緑色に置き換えられているが、汎スラヴ色に分類される。

2009年04月05日

五節舞

五節舞、五節の舞(ごせちのまい)とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、大歌所の別当が歌う大歌に合わせて舞われる、4?5人の舞姫によって舞われる舞。大嘗祭では5人。

舞姫は、公卿の娘2人、受領・殿上人の娘2人という風に選ばれ、選ばれた家は名誉であった。また、女御が選ばれることもあった。

選ばれた舞姫は練習に明け暮れ、新嘗祭の前々日である丑の日の夜に宮中へ参上、直に、「帳台試(ちょうだいのこころみ)」と称して常寧殿にて天皇に練習を披露、前日の寅の日に「御前試(おんまえのこころみ)」と称して清涼殿にて天皇に練習を披露、当日の卯の日に「童女御覧(わらわごらん)」と称して舞姫に付き従う童女を清涼殿にて天皇が御覧になるなど、天皇自身からの試験も厳しかった。

この舞は、天武天皇の時代、吉野に天女が現れて舞ったとの伝説に依拠している。五度、袖を振って舞う。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられる。

また、『春秋左氏伝』昭公元年条に「先王之楽、所以節百時也、故有五節。遅速、本末以相及。」とあり、これを晋の杜預が「五節=五声」として先王が5つの音調を用いて楽を作って民衆を教化したと解している。このため、天武天皇は大陸の礼楽思想を取り入れる意図をもって五節舞を考案したとする見方もある(なお、聖武天皇が元正上皇のために阿倍内親王(孝謙天皇)に五節舞を舞わせた際に、天皇が上皇に対して「天武天皇が天下統治のために礼と楽を整備するために五節舞を考え出された」と述べている(『続日本紀』天平15年5月辛丑条))。

五節舞の情景を描写した、僧正遍昭の「天つかぜ 雲の通ひ路吹きとぢよ  をとめの姿しばしとどめむ」の歌が有名である。    

帳台試 [編集]
常寧殿の西塗籠の内帳台の上に長筵を敷き、その上に舞姫の座を敷き、その前にそれぞれ白木の灯台1本を立て、東の帳台の西南角に幔を引いて小哥(当世の歌を歌う人)の座、北庇塗籠のうちを大師(舞姫に舞を教える人)の局とし、大哥(古風の歌を歌う人)は同殿東の仮座に候し、殿内の四隅に舞姫の休息所である五節所を設ける。時になれば舞姫は玄輝門に参入し、車を下りてから公卿が束帯してこれに従い、各自定められた五節所に入る。舞姫の参入の由を聞いて天皇は直衣指貫に沓をはき、清涼殿東庇北の階下から、承香殿西南隅に仮に架けた長橋、承香殿南簀子、同馬道后町廊、常寧殿馬道その他の順路を経て大師の局に入り、殿上の侍臣が脂燭に候し、近習の公卿が両3人供奉する。舞姫1人ごとに火取を持つ童女、茵を持つ童女1人、几帳3本を持つ下仕および理髪の女房を先立てて舞殿にはいり来て、舞姫らは茵に座し北向し、西を上にして並び座す。ついで大哥が后町廊の辺に座し、大哥、小哥が発声し、舞が始まる。その間、理髪の女房、童女、陪従、下仕などの介錯の女房以外は、同殿にはいることを許されず、蔵人頭もしくは行事蔵人のほかは戸外に伺うこともできない定めであった。舞が終わって、舞姫が退出する。

鎌倉時代を経て室町時代になり、その式目は変化し、「代始和抄」には、「昔は常寧殿にして此の事あり。官庁にて行はるる時は、西庁七茵間をもて、北二間をば大師の局と名づく。之を帳台とも云ふ。昔は舞姫参入の儀式など事々しくありけり。今は暁参りとてひそかに参ず。帳台試といふは、主上自ら大師の局に出御なりて、舞姫を御覧する事なり。この時は、主上御直衣に御指貫を著御あり。これは殿上人に立ちまぎれおはします由なり」とある。

マザーグ ロリータ あんずいろ ラウオル すないろ ブレザー ブリタ ブルジョア ドレス タジン スイート こるてーぜ ハザード ソフィア シャタカイ ロンド モーリ ルッコラ マジョル ドット 寒玉日本 フッラ アルマジ マドリード メーター ディレク 紅ほっぺ パパンサ スーツ きんしゃ チザン ミオシン ティン ドーマン ケイソウ きしょうてん スミレ ルーキー カムロ ハーフセ リフレッ オーバー おみたま ボジェット ヒイラギ スコー タチSEO マトーダ グッドア チェスト

2009年03月21日

11号御料車

11号御料車は、1922年(大正11年)3月に10号御料車とともに鉄道省大井工場で製造された食堂車である。

車体は大型客車に属する木製のダブルルーフで、台車は大正6年度基本型の3軸ボギー台車である。全長は20.0m、幅は2.80m、高さは3.904m、自重は34.0tで、食堂車であるため菊の御紋章は取付けられていない。

車内は、前位から職員室、供奉員室、食堂、献立室、料理室、大膳員室に分かれている。食堂の長さは7.31mで、天井は大格子造りで絹張りとなっている。食堂部の窓は幅1.22mの大きなもので、それが片側に4枚設けられている。その上には装飾としてあじさい、ゆり、あさがお、ぼたん、ざくろ、ぶどう等の浮彫りを額縁式に取付けている。吹寄せ部は絹裂地張り、引戸羽目には螺鈿が施されている。前位仕切り壁は刺繍により桜に鳩の図を描いている。食堂中央部には長さ4.55m、幅0.8mのテーブルが置かれており、16個の椅子が備えられている。
サルカ おれたち レンソ ステキな レッスンプ モラル ハート バイオポ キックボ カーヒー テガシワ ビュル テープデ ブークレ バーキ ヒートシン カタル スノーソ シーディー スカラー ヒデリコ ステル トローチ ブレス カナリア プネー フリップ ジャイプ せんこう サミング セント レナン クジャク ダイレ リード ユーブ ピーク ぶるーべ ドライフ ドック フルガイド案 けーるナビ クローシス バーベル トロツ ビット ドラッグ 夢海峡 風のシア バスタ

太平洋戦争後の1945年(昭和20年)10月29日、本車は10号御料車とともに連合軍に接収され、軍番号2204(軍名称Urbana(アーバナ)、省番号スシ11)となり、第8軍司令官専用列車Octagonian(オクタゴニアン)号の編成に組み込まれた。1946年2月には、軍名称がBelton(ベルトン)と改称されている。

本車の接収は10号とともに1951年(昭和26年)6月23日に解除され、7月1日に御料車に復した。その後は使用されることなく大井工場に保管され、1959年(昭和34年)10月に廃車となった。1965年に10号とともに解体命令が出され、関係者による反対運動が起こったが、その甲斐なく1966年1月に大井工場で解体された。

2009年03月06日

イタリア海軍艦艇一覧

イタリア海軍艦艇一覧は、イタリア海軍が過去保有した、または現在保有する、または将来保有する予定の、未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。

国防予算:155億ドル(+9億ドル)
海軍人員:3万1,900名(?2,837名)
艦船隻数:100隻(?5隻)
潜水艦×7
空母×2(+1)
駆逐艦×3(+1)
フリゲート×12
コルベット×8
哨戒艦×10
哨戒艇×4
ドック型輸送揚陸艦×3
掃海艇×12
測量/調査艦×6(?1)
補給艦×3
給油艦×1(?6)
給水艦×7
輸送艦×6
灯台補給艦×5
救難艦×1
練習艦艇×10
航空機数:135機
艦載固定翼機×17
艦載ヘリコプター×83(+7)
陸上固定翼機×34(?7)
陸上ヘリコプター×1
コーストガード:船艇68隻(?256隻)、航空機30機

艦艇一覧(近代海軍以前)
ガレオン
カンディア(Candia)
サンティシマ・マードレ(Santissima Madre)

艦艇一覧(近代海軍)
主力艦
戦艦
草創期の戦艦
レ・ガランテュオーモ (Re Galantuomo)
フォルミダビーレ級 - 2隻
フォルミダビーレ (Formidabile)
テリビーレ (Terribile)
プリンチペ・ディ・カリニャーノ級 - 3隻
プリンチペ・ディ・カリニャーノ (Principe di Carignano)
メッシナ (Messina)
コンテ・ヴェルデ (Conte Verde)
レ・ディタリア級 - 2隻
レ・ディタリア (Re d'Itaria)
レ・ディ・ポルトガッロ (Re di Portgallo)
レジナ・マリア・ピア級 - 4隻
レジナ・マリア・ピア (Regina Maria Pia)
サン・マルチーノ (San Martino)
カステルフィダルド (Castelfidardo)
アンコーナ (Ancona)
アフォンダトーレ (Affondatore)
ローマ級 - 2隻
ローマ (Roma)
ヴェネチア (Venezia)
パレストロ級 - 2隻
パレストロ (Palestro)
ヴァレーセ (Varese)
プリンチペ・アメデオ級 - 2隻
プリンチペ・アメデオ (Principe Amedeo)
カイオ・デュイリオ級 - 2隻
カイオ・デュイリオ (Caio Duilio)
エンリコ・ダンドロ (Enrico Dandolo)
イタリア級 - 2隻
イタリア (Italia)
レパント (Lepanto)
ルッジェーロ・ディ・ラウリア級 - 3隻
ルッジェーロ・ディ・ラウリア (Ruggiero di Lauria)
アンドレア・ドリア (Andrea Doria)
フランチェスコ・モロシーニ (Francesco Morosini)

前弩級戦艦
レ・ウンベルト級 - 3隻
レ・ウンベルト (Re Umberto)
シチリア (Sicilia)
サルデーニャ (Sardegna)
エマニュエレ・フィリベルト級 - 2隻
エマニュエレ・フィリベルト (Emanuele Filiberto)
アミラーリオ・ディ・サイント・ボン (Ammiraglio do Saint Bon)
ナビワジ マーモ リカー 一刻千金 トベラ シャン フック トロピ アームロ サリドマ ビーツ ヨーク アンダー みみず クマザ ワラルー レース 結の的 サーチ バルコニー スキタイ ナビ凪笛 ドライアイ ぬくもり ローラム サンゴ トポロ ソナタ レモンバ ブリーフ ソバ国内 ボイル キキーモラ リーブ オブザ スルタン けんばん 水たまり トパーズ ムンク セラミド シーレー よいち シロップ ふだい プライ サルベージ ショート ファジー ファーム

準弩級戦艦
レジナ・マルゲリータ級 - 2隻
レジナ・マルゲリータ (Regina Margherita)
ベネデット・ブリン (Benedetto Brin)
レジナ・エレナ級 - 4隻
レジナ・エレナ (Regina Elena)
ヴィットリオ・エマニュエレ (Vittorio Emanuele)
ナポリ (Napoli)
ローマ (Roma)

弩級戦艦
ダンテ・アリギエーリ (Dante Alighieri)
コンテ・ディ・カブール級 - 3隻
コンテ・ディ・カブール (Conte di Cavour)
カイオ・ジュリオ・チェザーレ (Caio Giulio Cesare)
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)
カイオ・ドゥイリオ級 - 2隻
カイオ・ドゥイリオ (Caio Duilio)
アンドレア・ドリア (Andrea Doria)

超弩級戦艦
フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦 - 0隻 (4隻建造中止)
※ 建造中止:
フランチェスコ・カラッチョロ (Francesco Caracciolo)
クリストフォロ・コロンボ (Cristoforo Colombo)
マルカントニオ・コロンナ (Marcantonia Colonna)
フランチェスコ・モロシーニ (Francesco Morosini)

新戦艦
ヴィットリオ・ヴェネト級 - 3隻 (1隻建造中止)
リットリオ (Littorio) ※ 後に《イタリア (Italia)》
ヴィットリオ・ヴェネト (Vittorio Veneto)
ローマ (Roma)
※ 建造中止:
インペロ (Impero)

モニター艦
ファー・ディ・ブルーノ

航空母艦
正規空母
アクィラ - 0隻 (1隻建造中止)
※ 建造中止:
アクィラ (Aquila)

軽空母
スパルヴィエロ - 0隻 (1隻建造中止)
※ 建造中止:
スパルヴィエロ (Sparviero)

V/STOL空母
ジュゼッペ・ガリバルディ
ジュゼッペ・ガリバルディ (C-551 Giuseppe Garibaldi)
カヴール - 0隻 (1隻建造中)
※ 建造中:
カヴール (C-552 Cavour)


2009年02月14日

魔女っ娘ア・ラ・モード

人と精霊が共存する魔法王国『ミント王国』。国民達は女王の下、平和な暮らしを送っている。

そのミント王国にある魔法学校『トゥインクルアカデミー』で、夏休みを前に試験が行われることになった。その試験はいつもと異なり、二人一組で行われるという。ダイルとユーキはパートナーとする美少女を求め、お互いにしのぎを削りあうことに……。
セタノール スタッフ 青空の破片 シロキ システム シャリ フレッシュ 星空 レビュー スケープ レター セラピスト ウォータ 雪化粧南瓜 ヤンゴン マリン フリマ ジンゲス ひえい リヤド 大冒険ニュ ポポポ ハート なご セレシン ジンク ネーチャー ブル スティック スポーツ リトル ショート システ フリー 砂漠のバラ ブジー コスメ クリーム トロメア うぇあ あしげ プロペラ ナイフ ショッキ キュート イング スタメン チャ・チャ バラクーダ ローブチ

ダイル・クライス
主人公(名前は変更可能)。朝は非常に弱く、いつもユーキに床にたたきつけられては意味不明な絶叫を発する。色恋沙汰には非常に鈍感で、シルビアとエレーネが自分に向ける気持ちに気づいていない。光の精霊を感じることができる(これができるのは、クラスの中では彼を除くと筆頭女王候補のエレーネのみ)。
シルビア・アイゼット(声:カンザキカナリ)
主人公とエレーネの幼なじみ。ちょっぴり勝気な女の子で、面倒見の良さと気の強さが特徴。モンスターの「モ」の字を聞くだけでも逆上してしまうが、これにはとある事情がある。主人公が好きなのだが、本人のみが気づいていないことが悩みの種。さらに幼なじみのエレーネもダイルが好きなので、恋の三角関係に悩ませるが、期末試験にダイルとエレーネと共にパートナーが必要となり事態は急展開する。
エレーネ・シルバーナ(声:一色ヒカル)
主人公とシルビアの幼なじみ。魔力が高く(しかも得意な魔法の属性は光)、次期女王候補の筆頭とされている。それだけにカリスマ性が強く、学園でも人気がある。彼女も主人公が好きなのだが、シルビアの想いも知っているのでなかなか言い出せない。このようにおしとやかで控えめだが、自分の意見はハッキリと主張する性格。競い合う事が苦手で、恋にはちょっと奥手なところがある。なお、「まじょかべ」では本編とは違うエンディングが用意されている他、DVD版付属のドラマCDではなぜか悪役を演じている。
ナナ(声:春野かえる)
大賢者ソレイユと錬金術研究員らのチームが、研究所でソレイユと親しい魔力が強力な幼い子供より採取した便から錬金術で誕生させる事に成功した7番目のホムンクルス。子供から生み出された影響で純真無垢な性格かつ好奇心旺盛で、男女の事に関しても無知である。羞恥心皆無に等しいが、それはトゥインクルアカデミーが研究所外の世界初体験であるから。なお、魔法は使えない。名前の由来は7番目に生まれたホムンクルスであることから(正式名はVersion7と呼ばれる)。愛称は「なっちゃん」。
リディア・アーセナル(声:草柳順子)
頭脳派。あらゆる魔法をそつなく使いこなすが、その雰囲気からアカデミーでも孤立しがち。そのためにクラスメイトから王国転覆を企む闇の魔女と噂されている。本当は寂しがり屋で心の優しい性格。いつも子供のブラックドラゴン「コドラン」を連れている。
ミルキー・ミルコック(声:大野まりな)
年下で極度のあがり症。ゴーレムに捕まっているところを助けられたのがきっかけで主人公を好きになる。なお、彼女は下級生なので、彼女のシナリオでは試験のイベントは発生しない。
ホルン・スティープル(声:氷青(PS2版)、果林(DVD版))
行動派なPS2/DVD版追加キャラ。有角族の少女。その環境故滅多に使うことはないが、闇魔法が得意。魔力もエレーネに次いで高い。自由奔放な性格でクラスメイトに迷惑をかける事が多いが、人を思いやる心を持っている。
アクア・アラベスク(声:島村佳奈)
主人公達のクラスの担任。自らの仕事に愛と誇りを持っていて、生徒を一人前の魔法使いに育てる事を生きがいとしている。
ソレイユ・ブリリアント(声:夏野向日葵)
大賢者と呼ばれるほどの魔力と知識の持ち主で、見た目こそ幼いが、実はかなりの高齢。絶大な量の魔力が老化を遅くしている。64代目の女王候補だったが、辞退した経験を持つ。外見が子供の影響からか子供と遊ぶのが好きで、遊んで親しくなった魔力が強力な子供から錬金術によってナナを誕生させる。
ユーキ・ハイマン(声:満月満丸)
主人公と同室の親友。風魔法に長け、朝が弱い主人公をいつもその魔法で床にたたきつけて起こす。そのために彼の魔法は日々上達している。顔が暑苦しいのが特徴。
スフィア(声:上野空)
DVD版に付属する、ドラマCDのみに登場するキャラ。ユーキとミルキーに追いかけられていたところを、リディアとホルンに助けられる。記憶喪失。
ダイルはエレーネをパートナーに選び、無事に試験に合格する。そして迎えた夏休み前日、ダイルのベッドに謎の少女レイリスがあらわれる。レイリスとダイルは急速に仲良くなるが、そんな二人にエレーネの不満は爆発。ダイルはエレーネとレイリス、どちらかを選ぶことになってしまう。

「まじょの夏休み」追加キャラクター
レイリス(声:桜川未央)
いつの間にか、主人公のベッドで寝ていた少女。名前以外の素性は不明。主人公によく懐くが、なぜかシルビアにはなつかない。明るい性格だが、極度の人見知り。ちなみに、初めて登場した際は何も着るものを持っていなかったので、普段はエレーネのおさがりを着ている。

2009年01月28日

会津戦争

会津戦争(あいづせんそう、慶応4年/明治元年(1868年))は、戊辰戦争の局面の一つであり、会津藩の処遇をめぐって、薩摩藩・長州藩を中心とする明治新政府と会津藩およびこれを支援する奥羽越列藩同盟などの旧幕府勢力との間で行われた戦いである。主に現在の福島県、新潟県、栃木県が戦場となった。なお、同時期に進行していた長岡藩をめぐる戦いは北越戦争として区別される場合が多い。
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文久2年(1862年)、会津藩主・松平容保は京都守護職に就任し、尊攘派志士の取り締まりや禁門の変において幕府方の中核となって奮闘した。この経緯もあり、薩摩・長州を中心とした新政府に幕府方の首謀者として会津藩は、鳥羽・伏見の戦い後の慶応4年(1868年)、新政府から追討令を受ける。追討を命じられた仙台藩、米沢藩など東北諸藩は会津藩に同情的で、会津藩赦免の嘆願を行う一方、奥羽越列藩同盟を結成し結束を強めた。奥羽14藩では会議開き会津藩、庄内藩の赦免嘆願を目的とし、新政府の九条総督に赦免嘆願書を提出するも認められず、朝廷へ直接建白を行う、(太政官建白書)も作成されたが認められることはなかった。奥羽越藩同盟では(白石盟約)の時点では赦免嘆願であったが、会津藩が新政府の通達に対して罪を認めず謝罪を拒否する回答書を示した事と、仙台藩士による新政府の鎮撫使である世良修蔵を殺害した事件から戦争に傾くことになる。

白河口の戦い

戊辰戦争の白河口の戦いで焼失した白河小峰城詳細は白河口の戦いを参照

白河藩は当時国替えにより藩主不在となり幕府直轄領であった。旧幕府軍は会津藩家老の西郷頼母を総督として、慶応4年閏4月20日(1868年6月10日)に白河城を占領。これに対し新政府軍は、薩摩藩参謀伊地知正治の指揮のもと、閏4月25日(6月15日)に白河への攻撃を開始し、5月1日(6月20日)に白河城を落城させる。旧幕府軍は7月までの約3か月間、白河奪回を試みて戦闘を繰り返したが、奪回はならなかった。

二本松の戦い
6月24日(8月12日)に棚倉城が落城、7月16日(9月2日)に三春藩が奥羽越列藩同盟を脱退し、新政府軍はじりじりと北上した。7月29日(9月15日)、藩兵の大半が白河口に出向いている隙をつき新政府軍は二本松城を攻撃。二本松城は落城し二本松藩主丹羽長国は米沢へ逃れた。二本松藩は少年兵部隊を動員しており、彼らは後世、二本松少年隊と呼ばれた。特に木村銃太郎率いる20名は攻城戦の最中にそのほとんどが戦死し、会津戦争の悲劇のひとつとして語り継がれた。

若松城下への侵攻
二本松領を占領した新政府軍はでは、次の攻撃目標に関して意見が分かれた。大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は、会津藩の攻撃を主張した。板垣・伊地知の意見が通り会津藩を攻撃することとなった。

二本松から若松への進撃ルートは何通りか考えられたが、新政府軍は脇街道で手薄な母成峠を衝いた。8月21日(10月6日)、新政府軍は母成峠の戦いで旧幕府軍を破り、40キロ余りを急進して8月23日(10月8日)朝に会津若松城下に突入した。新政府軍の電撃的な侵攻の前に、各方面に守備隊を送っていた会津藩は虚を衝かれ、予備兵力であった白虎隊までも投入するがあえなく敗れた。このとき、西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃し、城下町で発生した火災を若松城の落城と誤認した白虎隊士中二番隊の隊士の一部は飯盛山で自刃した(最年少隊士の飯沼貞吉のみは蘇生し、昭和6年(1931年)まで生き抜いた)。

日光口の戦い
会津地方南方の日光街道沿いでは、大鳥圭介率いる幕府歩兵隊と会津藩家老の山川大蔵とが防衛に当たっていた。閏4月21日(6月11日)と5月6日(6月25日)の今市攻略戦では攻略に失敗したが、その後は一進一退の戦いを続けていた。だが二本松が陥落すると母成峠の防御に伝習隊を抽出し、新政府軍が若松城下に突入するに至って、山川大蔵は戦線を放棄して若松城へ駆けつけた。山川大蔵は、会津地方の伝統芸能である彼岸獅子のいでたちをすることで新政府軍の目を欺き、包囲下の若松城への入城に成功したと伝えられる。

降伏
損傷した若松城(降伏後に撮影)会津藩は若松城に篭城して抵抗し、佐川官兵衛らは開城後も城外での遊撃戦を続けたが、9月に入ると頼みとしていた米沢藩をはじめとする同盟諸藩の降伏が相次いだ。孤立した会津藩は明治元年9月22日(11月6日)、新政府軍に降伏した。同盟諸藩で最後まで抵抗した庄内藩が降伏したのはその2日後である。旧幕府軍の残存兵力は会津を離れ、仙台で榎本武揚と合流し、蝦夷地(北海道)へ向かった(箱館戦争)。

戦後処理
薩摩藩の軍監・桐野利秋の計らいで容保は死一等を減じられ、江戸に蟄居。本来であれば家老上席にあった西郷頼母、田中土佐、神保内蔵助が切腹するところであったが、西郷は行方知れず、神保と田中は城下での戦闘において自刃していたため、次席の萱野権兵衛が戦争の責任を一身に負って切腹した。

(新政府軍)は会津戦争の戦死者を「賊徒」として埋葬を許さず、このために長期間に渡って放置された死体は風雨に晒され、鳥獣に食い散らかされる悲惨な状況だったと言われている。横たわる死体にはカラスが群がり、首のないもの、袴、褌が脱がされたもの、中には裸にされ性器を切り取られ口の中に押し込まれているものなども見うけられた。戊辰戦争の中でもこの会津に至っては遺体への残忍な恥辱、見せしめが多く観られた。見かねた庄屋の吉田伊惣冶が戦死者を埋葬したため、西軍民政局に投獄され数日が経ち「今回だけは許す、今後このようなことがあれば直ちに首を刎ねる、村人に知らしめよ。」と釈放された。(飯盛山に彼を顕彰する碑が立てられている。)半年程経ち遺体取り片付けの誓願書が多く寄せられ、実際には疫病の要因になるという理由からようやく埋葬を許された。死体の処理には藩士や村人を許さず、被差別部落民(記録では763人)を使い墓ではなく、罪人塚という形で認められた。彼らは大きな穴を掘り、遺体をお風呂桶、古棚、莚にぎゅうぎゅうに詰め、ごみ同然に投げいれたという。戦後処理のため残された会津藩士二十人は皆、涙ながらに立ちすくんでいたと言う。この中にはごみ同然に捨てられている遺体を、丁重にしょうと身分を捨て部落民になる伴百悦(後に軍務筆頭監察局の久保村文四郎を殺害する)もいる。またこの頃、同時期に偽札、偽金が横行し久保村文四郎によって取調べすら行わず54人の町民が母子の前で公開処刑されている。この苛烈極まりない処理は長州藩の(民生局も含め)管理下で行われており、逆に薩摩藩の管理下だった(会津藩と同じく列藩の中心の)庄内藩は寛大な処置で、これに感激した庄内藩士は後に西南戦争で西郷隆盛と運命をともにしている。

山縣有朋を筆頭にした長州閥は、明治期を通じて会津地方民や会津地方出身者を「朝敵風情が」と侮蔑し、学界や官界に進んだ会津藩出身者の登用について徹底的な妨害工作を行ったと言われている(昭和天皇の弟である雍仁親王と松平容保の孫、節子の婚儀に際しての話は有名である。)こういった処置は会津民衆の新政府軍側諸藩(薩摩・長州)に対する遺恨となったと言われる。西南戦争では多くの会津人が薩摩の巨魁である西郷隆盛への恨みを晴らす為に政府軍に志願したといわれる。また会津藩出身の軍人・柴五郎などは、西郷や大久保利通など薩摩藩出身政治家の非業の死に対して「当然の帰結であり断じて喜べり」と語っている。

しかし遺体放置の話の根拠とされる「明治戊辰戦役殉難之霊奉祀の由来」に記されている官命では、会津軍、新政府軍双方の戦死者に対する一切の処置を禁止する内容となっており(戦死者からの金品剥ぎ取りが横行したための一時的措置と考えられる)、会津側の戦死者のみを埋葬禁止とした内容ではない。また戦後の会津統治を委ねられ遺体埋葬にも当たった会津民政局には薩長の人間は全く入っておらず(幹部は主に東北諸藩の人物、職員は従来の村役人によって構成されていた)又、会津庶民の長年に渡る藩政への遺恨、会津軍による周辺の街の焼き払い、領内における身分差別等、様々な背景があったとされる。(会津世直し一揆参照)。従ってこういった遺体放置の話が薩長によるものであったのかどうか、明確な根拠がなく一方的な視点で書かれた小説等が多く疑問が多い。

後世への影響
近年でも以下のようなエピソードがあり、現在でも会津戦争の因縁の例として上げられる事が多い。

半ば冗談ながら“現在でも会津若松市民にとって戦争と言えば第二次世界大戦(太平洋戦争)ではなく戊辰戦争”とまでいわれている。[要出典]
福島県人は、山口県・鹿児島県出身者とは付き合いたがらない・関わりたがらないと言われ、特に山口県出身者に対する遺恨は深く、会津若松では、山口県人という理由で宿泊を拒否したり、タクシーの乗車を拒否したりすることがあると言われている。[要出典]
戊辰戦後軍部や関連の機関の採用試験や昇進等には山口県と書けばほぼ合格であった。反対に日清、日露から第一次世界大戦まで徴兵された会津、会津地方出身者は生きて帰れないような激戦地に送られたという(これによって会津地方では失われた剣術の流派、伝統芸能もある)。太平洋戦争にも似たような話があり、軍部の採用、昇進また戦地の派遣先まで長州閥に左右された。[要出典] ただし、実際には第二次世界大戦前夜の陸軍内における長州閥は勢力争いに敗れており、「長州出身と書けば採用や出世に不利になる」のが現実であり、少なくとも第二次世界大戦当時にこのようなことはありえない。
ちなみに、福島県に龍馬会(坂本龍馬に因む会)が結成されたのは、47都道府県の中で最後である。
昭和61年(1986年)には長州藩の城下町である萩市が会津若松市に対して、「もう120年も経ったので・・・」と会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」とこれを拒絶した。 「こうした行為は教育上よろしいとは思えない」という類の批判もかなりよせられた。実際この騒動の後に萩市と会津若松市は友好都市関係を結ぶことは無かったが、建前上ではあるが活発に交流するようになり、この騒動はそのきっかけとなった。[要出典]

評価
新政府軍は北越戦争に大兵力を投入し、白河方面の兵力展開は小規模であった。しかし新政府軍の指揮官伊地知正治は寡兵を率いての白河城奪取とその後の防衛戦、また母成峠突破と若松城下への電撃侵攻と果敢な戦いぶりで終始旧幕府軍を圧倒した。これに対して旧幕府軍は日光口での山川大蔵の奮戦を除くと全く良いところがなかった。装備・軍制の面でも旧幕府軍は新政府軍に及ばなかった。例えば白虎隊は鳥羽・伏見の戦いの後の軍制改革によって誕生したものであるが、身分別の編成を残すなど、近代化は不徹底であった。